稲垣智子 個展

間 ― あいだ
稲垣智子 個展

カテゴリー
作品展示
開催日時
2011年6月20日(月) 〜7月28日(木)
場所
mscギャラリー 知徳館 1F C163
出展者
稲垣智子氏

出展者プロフィール 稲垣智子氏

1975年大阪生まれ。2001年英国ミドルセックス大学美術学部卒。パフォーマンスやインスタレーションなど、様々なメディアを用いた表現活動を行う。国内外での個展やグループ展、メディア祭など精力的に活動。
おもな展覧会は『こもれび(水戸芸術館/2003)』『夏の蜃気楼展(群馬県立館林美術館/2005)』『トランスメディアーレ2010(The House of World Cultures/ベルリン)』、個展に『Dune/Trip(PH Gallery/NY/2005)』『嘔吐(大阪府立現代美術センター/2007)』『Pearls(The Third Gallery Aya/大阪/2010)』などがある。

REPORT

本作は美術作家・稲垣智子氏によって今回の展示にあわせて制作された、映像と写真によるインスタレーション(空間表現)作品です。

言語による矛盾

『間 ― あいだ』は一見シンプルな作品ですが、その内容には多くのメッセージが込められています。

まず、正面のスクリーンには似たような服を着た、似たような背格好の、似たような顔を持つ、二人の若い女性が映し出されています。彼女らは白いテーブルを挟んですわっており、ある出来事について会話をかわしています。それは〈向かって右側の女性Bがある風の強い日に公園にいた〉という不確定な事実に関するものです。 “不確定” というのは、女性B本人がそのことを認めていないからです。

さて、女性Aは「女性Bが風の強い日に公園にいた」と詰め寄ります。二人の会話は当初、公園の時計が何時で止まっていたかという些細な会話から始まりますが、しだいに意見がくいちがい、対立へと発展してゆきます。

 女性B「一ヶ月まえから、公園の時計は五時十五分で止まってた」
 女性A「七時十五分で止まってた。まだまだ明るかった」
 女性A「そしたら、いた。ミサちゃんが、いた。すごく悲しくなった」
 女性B「まって……私は何もしてない。それに風の強い日に公園は歩かない」
 女性B「私が何をしたっていうの? 誤解してるわ」
 女性A「あれはミサちゃんだった」
 女性B「何がなんだか、私にはわからない」

二人の会話には、その日が具体的に何日であったか、その公園がどこにあるのか、そして公園でミサが何をしていたのかといった情報は含まれていません。その日その時間に女性Bが公園にいたことが、ある種の裏切り行為であることは、話のふしぶしから読み取ることができます。
ここで映像を観る側は、二人の会話から断片的な情報を取り出し、どちらが真実であるのかを無意識に見定めようとします。

さらに注意深く観察すると、二人が互いのことを “ミサちゃん” と呼んでいることに気づきます。女性Aも女性Bもおなじ “ミサ” なのです。二人はよく似た別人なのでしょうか? それとも、そもそも一人なのでしょうか? 前者ならこの映像は対話形式であり、後者なら独白形式ということになります。このことはどちらに真があり、どちらに偽があるのかという問題以前の問題となり、観る側をさらなる混乱へと陥れます。

そして後半「正直に話して」という女性Aのセリフを合図に、二人はとつぜん立ち上がり、互いの頬をうち合います。すると、それまでの会話が逆の順に流れ出します。リバース再生ではなく、それまであった質問と返答が、ごく短いあいだに逆の順に再配置されてゆくのです。
通常、映像作品において、このようなアイロニカルな手法は “これがただの作り話である” ということを明示することになるため用いられません。この場合、二人の女性以外に、第三の語り手がいることを認めてしまうことになります。しかし、この表現は二人の会話から文脈というものを排除し、言語情報をそのものとして孤立させる役割をはたしています。つまり、観る側は真実の周辺をなぞりつつも、判断材料をすべて失うことになるのです。

視覚による矛盾

いっぽう、両壁に掛けられた四枚の写真には、映像に登場する二人の女性が写っています。向かって右側の二人は何かを叫んでおり、左側の二人は呆然としています。写真に写っている場所はどこでしょう? 会話のなかに登場する公園だと想像するのが自然ですが、四枚の写真をくまなく観察しても、二人のどちらに真偽があるのかはわかりません。ひとつ発見があるとすれば、それは〈叫び〉です。映像のなかでは二人のどちらも〈叫んだ〉とは言っていません。にもかかわらず、左の壁の写真に写る二人はあきらかに何かを叫んでいます。

映像のなかでは、二人のあいだに言語上の矛盾が存在していました。まず女性Bが「公園にいた/いない」という二人の主張。そして、二人が同一の人間であるかのような容姿。そしてこの四枚の写真には、二人の会話を裏付けるような矛盾がありません。つまり〈二人の話に対して矛盾がないこと〉自体が矛盾となっているのです。

真実と偽り――「あいだ」とは?

これら映像と写真、ふたつの世界で展開される立体的な矛盾は、今日の日本でつねに見られるものです。稲垣氏本人によれば、この作品の背景には3.11の震災後のメディア報道に対する問題意識があったとのことです。

いま、多くの日本人が知るとおり、震災後に政府やマスコミなどから発せられた情報には、多くの嘘、少なくとも「真実とは言えない事実」が含まれていました。あるいは情報を流す人々には、そういった認識はなかったかもしれません。しかし、結果としてわれわれは、日本の情報が本来的に備えているはずの真実性を社会レベルで喪失したのです。
『間 ― あいだ』は私たちがもつ〈情報に対する判断基準〉を揺るがし、問いかけます。情報における真実と偽りの境界はどこにあるのか? そして、それを自分は判断できるのか?
本作は、情報というものに対する不信感を表層的には難解に、しかしその実、ごく端的に表現した作品であると言えます。

※今回の展示では、本学科の三年次生である有元梨沙さんがキュレーターを務め、制作に必要なさまざまな調整をおこないました。また、映像と写真のモデルには本学の学生二人が起用され、撮影や録音作業などにも多くの学生が参加しました。

文 : 山本輝 (メディアサポートセンター)

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