石内都講演会 「私写真からはじまる」
2011年度 第3回 情報メディア学科講演会
- カテゴリー
- 講演会
- 開催日時
- 2011年12月14日(水)
- 場所
- 同志社女子大学京田辺キャンパス知徳館1階C183
- 講師
- 石内 都 氏
講師プロフィール 石内都 氏
1947年群馬県生まれ、横須賀育ち。初期三部作「絶唱、横須賀ストーリー」「APARTMENT」「連夜の街」で街の空気、気配、記憶を捉え、同い歳生まれの女性の手と足をクローズアップした「1・9・4・7」以後身体にのこる傷跡シリーズを撮り続ける。’79年第4回木村伊兵衛賞。’99年第15回東川賞国内作家賞、第11回写真の会賞、’06年日本写真協会賞作家賞受賞。’05年「Mother’s 2000-2005 未来の刻印」でヴェネチア・ビエンナーレ日本代表。’09年写真集「ひろしま」(集英社)、写真展「ひろしま Strings of time」(広島市現代美術館)により第50回毎日芸術賞受賞。第3回国際写真センター・トリエンナーレ(N.Y)招待作家。「ひろしま」は沖縄、東京、大阪にて個展。2011年、宮崎、長野、ヴァンクーバーで個展を開催。
REPORT
毎日芸術賞をはじめとして数多くの受賞歴をお持ちであり、世界的な写真家としてご活躍中の石内都氏をお招きし、ご講演いただきました。
まず前半に、ご自身の作品紹介映像にて、デビュー作から近作までを振り返りつつ、制作背景をご説明くださいました。
もともと大学では織りを専攻されていた氏は、写真の現像作業が染めの作業と似ていると感じ、現像の機材を知人から譲り受けたことをきっかけに、写真の世界に足を踏み入れたそうです。
自分の中の違和感、避けて通れない暗い部分を撮ろうとしたという、風景のポートレイトのような初期三部作、『絶唱・横須賀ストーリー』、『アパート』、『連夜の街』。女性・男性それぞれの体の部位をクロースアップで切り取り、身体の持つ時間の器としての機能を浮き上がらせた『1・9・4・7』、『Chromsome XY さわる』、皮膚上に残った時間の形として、より顕著な性質を持つ「傷」に焦点を当てた『Scars』、『Innocence』。亡き母の抜け殻である遺品をモチーフに、母親と会話をするような気持ちで撮ったという『mother’s』。
新旧を通して、作品の根幹にあるテーマは”傷跡”だといいます。
最新作『ひろしま』は、広島にある原爆資料館に収蔵されている、当時の被爆者の遺品を被写体とした作品です。
撮影のために広島へ赴いた氏は、初めて見る原爆ドームを「かわいい」と感じ、被写体である被爆してぼろぼろになった洋服の生地やデザインを「おしゃれ」だと感じられたそうです。このことを通して、氏が思われたのは、これまで様々な媒体に取り上げられてきた「広島」や「原爆」は、その多くが画一的なイメージに侵されており、なおかつ、それを目にしている私たちもそのイメージを先入観として持ってしまっている、ということでした。「原爆」を体験していない者として率直な感想を表現しようとすることは、とても勇気のいることかと思われますが、氏は、その感覚を得てはじめて、『ひろしま』という題材で写真を撮ることができると感じたそうです。
提示された写真作品の中のワンピースやスカートは、褪せてもなお鮮やかな色・デザインで、私たちの世代が戦時中の服装に抱く、暗い色味やもんぺなどといったイメージを覆します。一見、洋服の広告のようにも見えますが、よく見ると、それらは焼け焦げ、破れています。鑑賞者は、その紛れもない、空襲や被爆の跡におののくと共に、その跡も含めて洋服自体の魅力に、引き込まれるのです。
「私がこの服を着ていてもおかしくない。その当時、もしも私が若い女性で広島にいたとしたら、この服を着たいと思ったに違いない」と氏が語るように、身近でありながら遠く感じられがちな「広島」・「原爆」というものが、衣服の美しさに対する純粋な感動と、そこに袖通す想像から、一気に自分の身近なこととして生々しく感じられはじめます。
講演の後半では、現在展示中の、カナダ、ヴァンクーバーのブリティッシュコロンビア大学での『ひろしま』展に関して、お話しいただきました。
カナダという地での展示は、新たなる発見をもたらしてくれたそうです。
カナダが世界でも有数のウラン産出国であることや、そこで当時採取されたウランが広島市に投下された原子爆弾・リトルボーイに積まれた可能性。その採取に関わっていたカナダの先住民『ファーストネイション』の存在。民族学的な価値により本来の土に還るという機能から逸脱して保存される『ファーストネイション』達のトーテムポールと同様に、補修され、鉄骨に支えられて建っている広島の原爆ドーム。それらは最初からすべてコンセプトとして制御されていた訳ではなく、カナダでの展示の機会を得て、自ずと繋がってきた事柄でした。
「私写真からはじまる」というテーマに象徴されるように、報道・広告などの公的なイメージ表現とは異なる、一個人の目線からはじまる私写真が、鑑賞者各々の様々な感動・解釈を経て新たなイメージを内包し、そこからまた新たなる広がりを得る過程を聞くことができ、写真の持つ特性や、写真を使っての芸術表現について考えさせられることの多い講演会となりました。
石内氏の私写真からはじまったものの到達点を目の当たりにし、学生たちにとっては身近なものとなった写真表現を再び深く考えなおすよい機会となったのではないでしょうか。