澤田知子 講演会 アーティストでいること
©Tomoko Sawada, Courtesy MEM
2014年度 第2回 同志社女子大学 情報メディア学科講演会
- カテゴリー
- 講演会
- 講師
- 澤田 知子氏
- 開催日時
- 2014年6月13日(金)16:45〜18:15
- 場所
- 同志社女子大学 京田辺キャンパス 知徳館 3号棟1階 C131
- 参加対象
- 在学生および一般 入場無料
- お問い合わせ
- 情報メディア学科事務室
Tel.0774-65-8635
澤田知子氏 プロフィール
1977年神戸市生まれ。成安造形大学写真クラス研究生を修了、現在は同大学客員教授であり関西学院大学の非常勤講師も勤める。学生の頃よりセルフポートレイトの手法を使い作品を通して内面と外見の関係性をテーマに作品を展開している。デビュー作「ID400」にて2000年度キヤノン写真新世紀特別賞、2004年に木村伊兵衛写真賞、NY国際写真センターThe Twentieth Annual ICP、Infinity Award for Young Photographerなど受賞。ニューヨーク、ロサンジェルス、ベルギー、パリ、ウィーンなど世界中で展覧会を開催。出版物は、写真集の他に絵本などもある。2014年度はフランスとカナダで国際写真フェスティバルに出品、ニューヨーク、ロサンジェルス等でグループ展に参加。7月初旬まで兵庫県立美術館のコレクション展にも作品が展示されている。秋には 6冊目となる新しい写真集もパリで出版予定。
http://www.e-sawa.com
関連イベント
澤田知子 作品展 Face to Face
会期:2014年5月26日(月)ー 7月31日(木)
REPORT
〈内面と外面の関係〉をテーマに、数々の作品を制作・発表されている国際的アーティスト、澤田知子氏をお招きし、『澤田知子講演会 アーティストでいること』を開催しました。今回は、氏の代表的な手法ともなっているセルフポートレイト写真との出会い、代表作となった《ID400》の制作秘話、アーティスト人生のスタート、そしてつい最近まで続いたご自身のスランプによる苦悩など、貴重なお話を伺うことができました。
セルフポートレイト写真との出会い
「高校2年生のときにアーティストになろうと考えていた」という澤田氏は、短大時代の写真実習で〈セルフポートレイト写真〉に出会ったのだそうです。セルフポートレイト写真とは、自分自身を被写体とする写真表現のことです。通常のセルフポートレイト写真では、自分自身の個性を強調することが普通ですが、当時学生だった澤田氏は、そこにあえて異なる視点を持ち込みました。自らが変装することで“自分らしさ”を取り払い、人間のアイデンティティに対する不確かさを浮き彫りにしたのです。「当時は楽しくて、作品をどんどん作っていました」と語る氏の言葉どおり、講演のスクリーンに写し出された当時の作品からは、非常に強いエネルギーを感じることができました。
『ID400』からの躍進
美大に進学した澤田氏は、それまでの手法をより明確にするため、さらに大掛かりな《ID400》の制作にとりかかります。澤田氏は変装を繰り返し、一人で400人分のセルフポートレイトを撮影したのです。このときの撮影には、スーパーマーケットに設置されていたごく一般的な証明写真機が使用されました。この1600カット(一人分×4カット)にも及ぶモノクロ写真作品は、2000年のキヤノン写真新世紀特別賞を受賞しました。自分の手法に自信をもった澤田氏は2001年に《OMIAI♡》、2002年に《cover》、2003年に《Costume》をたて続けに発表しました。そして同年、写真界の芥川賞とも呼ばれる『木村伊兵衛写真賞』を受賞、翌2004年には国際写真センターの新人賞も獲得しました。波に乗った澤田氏は、2006年に渡米し、2007年には制作拠点をアメリカに移しました。「2008年に国際写真センターでグループ展をやった頃、一生このままやっていけるのだと感じていました。自分のやりたいことも、表現手法も分かっていましたし、収入面にも不安がありませんでした。」こうして澤田氏は念願のアーティストとなったのです。
スランプ
ところが、そんな澤田氏に大きな変化が現れました。「2010年に《Mirrors》を発表した頃には、私は自分の仕事におもしろみを感じられなくなっていました。発表する作品はそれまでと変わらず高い評価を得ていましたが、自分自身がセルフポートレイトに飽きてしまっていたのです。」彼女はいわゆるスランプ状態に陥っていました。「《Mirrors》では『またセルフポートレイトか』と思われるのではないかと恐れてさえいました。しかしそうは言っても、これまでの手法を他の手法に変えることはできませんでした。アーティストという肩書き、それまで培ってきた評価や成功などに執着していたのだと思います。」実際澤田氏は、アーティストとしての活動を続けることはもうできないかもしれない、という状態だったそうです。「非常に堪え難い状態だった」と澤田氏は沈痛な面持ちで当時を振り返ります。「プライドの高さもあって、私は自分がスランプであることを他人に話せないでいました。それを口にすれば『アーティストとして終わった』と認めたことになると思っていたのです。」そんな澤田氏を救ったのは、アート業界とは関係のない、ある友人の一言でした。
新たなる挑戦
「思い悩んだ私は、アート業界とは関係のないある友人に、はじめて自分の悩みを打ち明けました。すると彼女はあまり関心なさそうにこう言いました。『そうなんだ~。ふうーん、まぁ、そのうち作れるようになるんじゃな~い?』と。そのとき私は、ああ、これは私が思うほど、スランプというのは大したことじゃないのかもしれない、と思いました(笑)」こうして澤田氏は、それまで抱えていたジレンマを周囲の友人に話すようになりました。そして2012年、澤田氏はイタリアで開催された『GD4PhotoArt』という写真コンペティションに新たな作品を発表しました。《SKIN》はコンペのテーマであった産業をテーマとした写真作品で、それまでのセルフポートレイト作品とはまったく異なった手法が用いられていました。また、アンディーウォーホル美術館のプロジェクトで制作された《Sign》は、Heinz(ハインツ)とのコラボレーション作品でケチャップをタイポロジー(類型学)的に扱いつつも、よりポップアートにふられた手法が用いられていました。両作品とも、それまでの澤田作品にあった〈内面と外面の関係〉というオリジナル性が保持されつつ、新たな表現領域に踏み込んだものとして高い評価を得ました。
アーティストでいること
「それでも完全にスランプから脱したのは、2014年に入ってからでした。」そう語りながら氏は、来年の2015年の3月に新たな作品を発表することを約束してくれました。また、現在は自身のルーツであるセルフポートレイトにも新たな意欲をもっているとのことです。澤田氏は、過去を振り返るように、こう話を締めくくりました。「結局のところ、スランプから這い上がることができるのは自分だけですし、這い上がったかどうかを知るのも自分だけなのです。これまで私は、新しい価値観を社会に示すのがアーティストの仕事だと知りつつ、それをずっと実感できずにいました。しかし、私は周囲の人たちに支えられ、自らチャレンジすることによって、自分の殻をやぶる(=新しい価値観を見いだす)ことができました。今では『アートが人の価値観を変えられる、そういった力がアートにある』と実感しています。今アーティストでいられることが幸せです。」澤田氏のさらなる挑戦は続きます。